SCENE:12 見世物 |
「……な、なぁダンボ…これ…みんっっなレース観に来てるのか?」 「あぁ、世界最大の観客人数を誇るドラッグレース。毎年このブエノスアイレスを訪れる人間はおよそ1000万。今日の決勝レースだけで200万人の人間がこのレース場に訪れる」 抜けるような高い青空が広がる下、5号廃墟の発電所の比ではない大きさを誇るこのレース場。広大なエントランス前広場を挟んで反対側には人工的に作られた海とビーチが広がり、そこは水着を着たカップルやシートを広げて昼食を食べる家族連れなどで溢れかえり、レースまでの時間を退屈させない計らいが感じられた
「……」 「…?どうしたリー?」 昨晩とは打って変わって借りてきた猫のように大人しいリーが、ヤマトの言葉にようやく反応を返した 「…俺…こんなに人がいるとこ来たことなくてさ…ちょっとビビッてる」 「あぁ…お前あんまりごちゃごちゃしたとこ嫌いだもんな」 「うん……実はお前の試合観に行った時もちとビビッてた」 リーは普段凄く明るいお調子者なのだが、意外なことに人混みが苦手だった。昔からレトロ映画や機械とばかり触れ合ってきたため、慣れている人間に対しては底抜けに明るいのだが、不特定多数の人間の中に行くとこのように縮こまる。これは彼の過去にも起因しているのだが、ヤマトはその気持ちが一番よく理解できた 「ほらリー、行くぞ」 「あ、おい!待てよ!」 三人はエントランスを抜け、特別招待者しか入れないロイヤルボックスへと案内された。ここは観客席の一段上にあり、ホームストレートが一望でき、さらにはメインスタンド前の大型ビジョンを目の前に構える、所謂VIP席だ リーはさらに大人しくなっていた。というより感覚が麻痺してもう言葉が出ないのかもしれない 三人がロイヤルボックスへ続く広く長い廊下を歩いていると、後ろから誰かに声をかけられた
「……あ、あの、ヤマト選手ですよね!?」 「ん?」 ヤマトが振り返るとそこには、白の基調に胸元に赤のボーダーが2,3本入ったレーシングスーツを身に纏った白人の青年が立っていた。面長の顔にブルーがかった瞳は少し垂れていて、とてもこれから死地に向かうレーサーには見えなかった 「…あ!やっぱり!!あ、あの!この前の試合観ました!!すごかったです!!」 その男は興奮気味にそう言うと、右手をレーシングスーツで拭き、ヤマトの目の前に差し出してきた 「あ、あぁ。ありがとな」 ヤマトはそう返すと、その青年と握手をした。青年は興奮した様子で握手した手を眺めると、少し緊張した早口で自己紹介を始めた 「あ!僕…フェルーリのファーストドライバーのロビンです!!今年初参戦なんですけど…完走目指して頑張ります!!」 「なんか覇気がねぇなぁ。もっとこう『優勝します!』みたいな勢いださねえとすぐ死んじまうぞ」 「あ…す、すいません!!なんか昔っからこうで…へへ」 「とてもこれからレースに向かう男には見えねえなぁ。ま、お前んとこに賭けてやっから、勝てよ」 ヤマトはそう笑うと、恥ずかしそうにすくめるロビンの肩をポンと叩いた。もうロビンとは二度と会えないかもしれない。自分の目の前で死ぬかもしれない。それでも決して「死ぬなよ」「頑張れ」なんて台詞を吐くことはしなかった 死を覚悟で飛び込んできた世界。常に自分を極限に置き、死ぬ一歩手前での選択を迷えず行なえる者が「死んでもいい」なんて思っているはずがない 「死にたくない」と思う気持ちが強い者だけが、「命を賭ける」ことが出来るのだと俺は思っている
ヘラヘラしたロビンの顔にも一瞬だけ、そういう雰囲気が垣間見えた気がした―――
『―――さぁ今年もやってまいりました死亡率ナンバーワンエンターテイメント、ドラッグレース!!ここブエノスアイレスサーキットは200万の人間の熱気で異様な雰囲気を漂わせています!!今年も実況は私[新舘伊知郎]がお送りさせていただきます。さあー今50人の戦士達がコースに出てきました!!このうち何人がまたこうして客席に手を振ることが出来るのか!!ヘルメットの下の表情は、死へ「怯え」かそれとも「反逆」か!!』
アルティマロッタの名実況でもお馴染みの新舘伊知郎の饒舌が会場に響く ロイヤルボックスからの眺めは鬼気迫るものがあった。真下には一面見渡す限りの人人人。その人間が一つの大きな波のように蠢いている。そこから聞こえる低い蛮声はアルティマロッタの会場の雰囲気に似たものがあった その蛮声を浴びながら、スタートグリッドで各々のリズムでゆっくりとマシンに乗り込むレーサー達。この中にロビンもいるのだろう。顔は分からないが、服装からして中ほどのポジションで白と赤のマシンに乗り込んだのがロビンだと思った 「ダンボ…俺…さっきからドキドキが止まらないよ…」 リーの声が震えている。だがこれはリーに限ったことではない。アルティマロッタ決勝の比ではないこの会場の重量感は、初心者の心臓には重すぎるだろう。だが普段は受ける側のヤマトにとって、この種の歓声はいつも少し居心地が悪かった リーの震える声を掻き消すように新舘の実況が物静かに割り込んできた
『―――生き物の香りがしない荒野、怪物が潜むと言われる長い鍾乳洞、濃霧に曝され一寸と先の見えない密林……今年も何台がこの実況席前のチェッカーフラッグを通過することが出来るのか…2000kmを完走した先に待つは「栄光」の二文字。スタートグリッドに高らかに轟く50のエンジン音、アスファルトから上る熱気がドライバーたちを包み、異様な殺気を漂わせています。……ドラッグレース決勝、いよいよスタートの合図を待つのみとなりました!!』
ワアァァァァ―――
フォンフォォォォン―――
より重量を増す歓声、それを切り裂く高らかなエンジン音。会場の興奮はピークへと達していった そしてオールグリーンの表示の直前、ダンボがコースを見つめながらリーに言った。ダンボのその恍惚とした表情がこれから始まる究極のエンターテイメントを想像させた
「……これが、ドラッグレースだ」
『ドラッグレース決勝!!今!!!!スタートです!!!―――』
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さあ、ロビンにいきなり死亡フラグがたちました