―――バスまでの通路を手を振り、握手やサインに応えながらゆっくりとバスに向かう選手やスタッフたち
その周りを取り囲み、今にも通路用に臨時に設置された柵を壊してなだれ込んで行きそうな狂喜乱舞したサポーターたち
その中
この男の時間だけは、静かに、しかし確実に、その歩みを進めさせていた
ヤマトはその光景をはっきりと視界に収めていた
サポーターの大群の隙間から音もなくスッと現れ、誰にも止められるなく柵を乗り越え、まるでその刺さる瞬間まで誰もその存在にすら気付かなかったかのように、その男はいとも簡単に歓声を悲鳴へと変えていった 歓声から悲鳴に変わる一瞬の無音の間に見たもの―――
胸に金属製の何かを刺されたオリゲル監督と、服の袖から覗くそれを監督の胸に突き立てている試合前に見た「人間じゃない人間」、その二者
「きゃ…きゃああぁぁぁぁ!!!!!」
誰かの女性の悲鳴を皮切りに、堰を切ったようにその場は混沌の極みを見せ始めた
泣き叫ぶ女性、逃げまどう男性、大挙して逃げる人間の群れ
もう彼らの顔は、激戦を見た後の満たされた表情とはかけ離れていた―――
「―――お、おい!!」
ドサッという80kg前後の恰幅のよい肉塊がコンクリートを叩く鈍い音がした瞬間、ヤマトは柵を乗り越え、その『人間じゃない人間』の前に立ちはだかっていた
「お…お前!監督に何をした!?」 無意識下、本能 まだ現状を十分に把握していなかったが、この狐顔の男に対する嫌悪感は間違っていなかったんだという解答だけが、ヤマトの体を突き動かしていた 「…ギギ…お前ら…子供…『ナイフ』を、知らない…?……あぁ…今の世界…武器の開発禁止、なんだったな…ギギ…」 利発そうな顔立ちとは正反対の、単語単語をなんとか紡ぐように吐き出される片言に、まるで仮面をかぶっているかのように貼り付いた不気味な薄ら笑い
その中に垣間見えた確かな殺意が、ヤマトの中の恐怖心を煽った 「…な、何を言ってるんだ!!オ…オリゲル監督に何をした!!」
「ギギ…コイツ…リストに載ってる……コイツ…悪いやつ…だから殺した……お前もジャマする、なら、コロス」 「――?」 『何か』がそう言ったか言わないか、一般人にとっては一瞬にも満たないその間
その『何か』はものすごいスピードでヤマトとの距離約5mを詰め、一寸の躊躇も無くそのナイフと呼ばれた銀色の何かをヤマトの胸に目掛けて刺してきた 心臓を目掛けてきてたのに対してヤマトは本能的に右にステップを踏み最短経路でそれをかわす
体が右に飛んだ瞬間腰を捻り、足が地に着いた瞬間足首に力を入れ膝を相手に向け、同時に捻られ溜まった体のバネを解放させながら右手を繰り出す
その美しすぎるヤマトのカウンターは、相手の左顎を完璧に捉えた >> 相手の攻撃を避けてから、右カウンターをヒットさせるまでは、非常に流麗な動作でかつ穏やかに見えた しかしそれが死力でもって目掛けてきた相手の目線を、目の前から消え自分の左顎に突如現れたヤマトの拳に移す瞬間までに行われたのは紛れもない事実であり、周りで見ていた一般人にとっては「何が起きたか全く理解出来ない」状態であったと言える
そう、ヤマトの攻撃は完璧のはずであった――― <<
「ギギ……貴様…ただの人間じゃないな……特異型…か…ギギ…」 普通ならば、立つことはおろか意識を保つことすら至難なはずの手応え。しかし吹っ飛んだその『何か』は、その不気味な笑顔を崩さないまま首を2,3回鳴らすと、ゆっくりと立ち上がった
凍りつく背筋、怖気
「…い、一体…お、お前は…お前らはなんなんだ…!!」
ヤマトは背中を這いずり回る『本能の怯え』に、必死に抗いながら言葉を絞り出す
するとその『何か』は突然俯きながら、ぶつぶつと呪文のように何かの言葉を唱え始めた 「………マリ…」
次第にその声量が上がってくるのと同時に、ゆっくりとその不気味な笑顔が自分へと向けられてくる 「……リノ……マリ…」 そしてその『何か』が物凄い速さで人混みに消える直前、確かに言った
漠然とした、しかしとても絵空事とは思えないほどの重みを持った一言を――――
「終ワリノ……始マリ…」 |