――[2150年8月] 第3コロニー(新東京) 第一闘技場 医務室
「――…痛って!!」 ヤマトは、青紫色に腫れ上がった眼底部にヒヤリと伝わった綿の感触と刺さるような刺激に顔を歪め、その綿から逃げるように体を仰け反らせた
「ちょっとー!動かないでよ!あんたが弱いのがいけないんだから少しは我慢しなさいよね」
綺麗な白衣に身を包んだ金髪ショートカットの女医、ヤマト専属のメディカルドクターのアニーが、医者には無用のよく通るそのデカい声でまくし立てながら容赦なくヤマトに消毒液の染み込んだ綿を押し付ける。騒がしい痴話喧嘩が部屋の外にまで響く。だがこの光景はいつものことなのだろう、廊下のSPたちは全くの無反応であった
「だって相手が反則してきたんだぞ!結局俺が勝ったし…一体今まで何回優勝しt…」
「はいはいわかったわかった、ヤマトは強いよー」
一つため息をつきながら、アニーはその青い瞳でヤマトの傷の具合を確認すると、素っ気なくヤマトの肩をぽんと叩き「おしまい」と言い、椅子を反転させ机の書類の山からカルテを取り出した
「とりあえず消毒だけしといたわ。骨折と切り傷はIR細胞がなんとかしてくれるでしょ。ただ今日のシャワーは染みるでしょうね。ふっふっふっ…」
ヤマトはカルテを書きながら背中越しに肩で笑うアニーを一瞥し、汗で冷えた体にベンチコートを羽織ると、クーラーの効きすぎた部屋から逃げるように「このドS女」と小さく吐き捨て医務室を後にした ガチャ―――
「――Congratulations!!優勝おめでとう!!もうこの東京でヤマトに適うファイターはいないな!!」
ヤマトが廊下へ出るなり、いきなり2mはあろうかというマッチョな男のその黒光りした太い腕に抱きしめられた。その腕は汗の臭いでとても酸っぱく、先ほどまでアリーナにいた10万の観客の熱気がまだ残っているようで、ヤマトは思わず顔をしかめた
「…マスター、汗臭いッス…」
「ガハハ!気にするな!ほれ、見事優勝したヤマト様に雑誌の取材がたくさん来てるぞ!!」
マスターはそう大口を開けて言うと、思わず耳を塞いだヤマトの背中をその熊のような手でバンと叩いた
(アニーといいマスターといい、どーしてアメリカ人はこう声がデカいんだ?……いや、この業界の人間だけか…)
なんてことを考えながらヤマトが控え室に戻ると、ラフな格好をした二人のアシスタントの間に、メガネをかけたスーツに着られたなで肩の男が、しきりに腕時計を気にしながら右往左往していた
「…あ!優勝したヤマトくんだね!?ささ、早くこちらへ座って!一社5分しか時間もらえなかったんだからどんどん聞いてくよ!」
なで肩の男は、ヤマトが入って来たことに気付くと、急かすようにヤマトを椅子へと座らせた
「さて、若干20歳にして地方大会5連覇、そして今回Ultimalotta(アルティマロッタ)第3コロニー代表決定戦で優勝を果たしたわけだけども、今の気持ちは?」
なで肩の男がそう言うなりヤマトの視界が眩しい光に覆われた。ラフな格好をしていた男がカメラを抱えてしきりにシャッターを下ろしていた。ヤマトは少し眉間にしわを寄せながらも、笑顔で答え始めた 「…あぁはい、すごく嬉しいです。この大会のために―――」 こうしてそつなく十数社のインタビューを終え、ヤマトが自分のセルに帰れた頃には深夜2時を回っていた
染みる傷を押さえシャワーを浴びると、不明瞭な月明かりだけが照らす部屋の中央に位置するベッドに吸い込まれるように倒れ込んだ
少しひんやりとした布団の布地に顔をうずめながら、頭の中では今日の決勝戦の時の様子が走馬灯のように蘇っていた
彼が全力で戦った日はいつもこのような感覚に陥る。相手のボディをもらった時に飛び散った汗、内臓が抉れる痛み。カウンターを食らわせた時の相手の歪んだ顔や拳に伝わる感触、その瞬間の観客の地鳴りのような歓声。それらがスローモーションとなって彼の頭の中で何度もリプレイされる 『――アシタノ起床時間ハ何時デスカ?』
「ん?…あぁ…起こさなくていいよ…」
『了解シマシタ』
ヤマトはベッド横にいた暗闇に佇む家事ロボットのルーティーンワークに、目を瞑りながら返事をすると、激戦の後の心地よさと共に、そのまま深い眠りに落ちた――― |