SCENE:25

SCENE:25　１０月１０日－②

［10/10　13:02］

イヤフォンから聞こえる悲鳴の大群とは対照的に、ヤマトのいる近辺は依然として賑やかな時間が流れていた

これだけ広大なフロアを情報が伝わる速度などたかが知れている

だが自分以外の三人全員の付近で事が起きたことを考えると、イアンが言っていた他の２人にも危害が及んでいる可能性は十分にあるとヤマトは見た

このフロアにいる何万という人間からその５人を探し出した怪物たちの手段をヤマトが知る術はないが、この場もいずれ向こうと同じような状況になることは火を見るより明らかであった

その焦りを覚えたヤマトが視界の端に捉えたのはただの人間であった

なぜヤマトがその人間に視界を移したか、突き詰めればそれは『なんとなく』でしかない

だが、ヤマトの直感がいつにも増して鋭くなっていたことは確かであろう。現にこの世界政府本部に入ってから、彼は自身の体に妙な違和感を感じていた

その違和感が何を意味するか、現時点での彼の中では寧ろ「不安要素」としての色合いが強かった

この違和感と、彼が視界に捉えた人間が怪物であったことに気付けた要因との関係性に彼が気付く事はないが、それはさして大きな問題では無い

むしろ問題は彼が大きく勘違いしていた『認識の違い』――

ヤマトが視界の端に捉えた男は、おおよそ170cm前後のチェック地のシャツを着たいたって『普通』の20代の若者

その若者が袖から鈍色に光るナニカを取り出すまでは、誰が見ても普通の一般人のはずであった

異変に気付いたヤマトがその男のの先に視線を移すと、人混みの中にイアンのリストに載っていた顔があった

微かであった違和感が確信に変わった時すでに、彼の大腿部は大きく収縮していた

その若者に変装した怪物も決して油断していたわけではない

フッドという男に課せられた命令の中に「LEVEL３に入るまでは変装したまま行動せよ」というのがあった

戦闘能力に長けていた彼は外観が人のそれではなく、特に手足が異常に長かったため、特殊なスーツを着て行動することを余儀なくされていた

それによりかなりの範囲で自由が制限され、戦闘能力が大幅に落ちていたことも要因であったが、事実として「体が反射するまでヤマトからの攻撃を認識すら出来なかった」のであった

反応ではなく反射

最小限にまで音と気配を消し、且つ相手の死角から仕掛けた攻撃をかわせる余地がない事はヤマト自身も理解していた。現にその男もヤマトから攻撃を間一髪で避けた後、ヤマトという存在を認識するまでに一寸ほどの時間を要した

詰まる所、怪物は「攻撃を認識して避けた」のではなく、「体が攻撃を避けたことで攻撃を認識した」ということになる

両者、想定外

「――！？」

怪物も無意識下で死角からの攻撃を避けた自身に大きな違和感を感じていた

が、その違和感は目の前に現れた脅威により即刻かき消され、現段階での戦闘能力において大幅に下回っていた男の頭の中は、反転し人混みに逃げ消えるという選択で埋め尽くされた

その行動に一番驚いたのは勿論ヤマト本人

経験から、彼の算段では怪物たちは抹殺に支障となる者は如何なる手段を使ってでも排除するはずであった

詰まる所こちらが先に手を出せば標的は自分に移る。そう考えていた

だが今ヤマトの視界に映っているのは、敵に背中を向け逃げ消える若者と呆気にとられ自分を見つめる群集であった

「…な…なぜだ？」

事態が理解出来ないヤマト。慌てて標的にされていた男の顔を確認したが間違いなくリストの男であったし、男の周りにいた私服ＳＰが自分に対し不信感を露わにしていたことからもヤマトの読みは外れていなかったと言えるだろう

間違っていたのは認識の違い

ヤマトにとって怪物たちの目的であろう「リストの人間の抹殺」を防ぐことが最大の好手、彼はそう認識していた

しかし怪物たちにとって最大の目的は「大統領の公開処刑」であり、「リストの人間の抹殺」は彼らにとってプロセスの一つに過ぎない

この認識の差違がこの結果を生み、それを理解するためにヤマトを思考に数秒間集中させてしまった

――ドスッ

鈍い音と共にヤマトの右わき腹に激痛が走る

思わず眉をしかめたヤマトが振り返ると、そこにはオリゲル監督を殺した怪物が立っていた

怪物の右手に携えられた『ハモノ』からはヤマトのものと思しき血が滴り落ちていた

引く血の気、上がる体温

「ギ…ギギ……」

怪物は以前ヤマトと戦った際脳幹に損傷を受け、サイボーグとしての機能をほぼ失っていた

ここに彼がいた理由はただ一つであるが、それの遂行直前、彼の視界に入った「ヤマト」に怪物の記憶が反応した

これは受動であり能動ではない

オリゲル監督暗殺時にヤマトに対して働いた「邪魔者は消せ」という命令が蘇り、この結果に至った

ヤマトのわき腹が燃えるように熱くなり、血流が全身を脈打つたびに大量の血液が地面に落ちた

体中から脂汗が噴出し、瞳孔が大きく開いた

「く……くそぉぉぉ！！！」

怒りに身を任せたヤマトの右拳は、怪物を吹っ飛ばした。それは群衆を押しのけるようにして倒れこみ、周りにいた人々は事態を把握出来ていないながらも、目の前の恐怖から叫び逃げまどった

その混乱の中、吹き飛ばされた怪物はぎこちない足取りでゆっくりと起き上がると、何事もなかったように人ごみのなかへ消えていった

「くそ…！くそ…！くそ…！やられた…熱ぃ…やべ…くそ…！」

ヤマトは混乱していた。自分の身勝手で作戦を変更させたにもかかわらず、その自分自身が失敗を犯してしまったことに対しヤマトは大きな焦りを感じていた

この状態で合流できるのか？そしてその後作戦遂行できるのか？ヤマトの頭の中を最悪のケースがいくつも過った

「…大丈夫だ、致命傷じゃねぇ……行ける…合流できる…」

抜けそうな足腰に踏ん張りをきかせると、ヤマトは傷口を押さえながらエレベータへと向かった

混乱し逃げまどう人々がヤマトの存在お構いなしに衝突してくる。もう周りが見えていないのだろう。ヤマトにはそれをかろうじて交わすのが精一杯であった

その時だった――

『本当の恐怖っていうのはな、こういうことだ』

突如会場の悲鳴をかき消すかのように、男の声が響き渡った。拡声器を通して聞こえてくるその声は、会場の人々の混乱を一時的に止めた

『＜死＞に対する恐怖…お前らの＜絶対平和＞とかいうものの根幹にあるものだよ』

会場の人間の足が一斉に止まる。ヤマトもその状況を察し顔を上げた

『約８ヶ月前のブエノスアイレスの連続変死事件、そして２ヶ月前の北京での病原菌流行。その時もお前ら中流階級の人間どもは相変わらずのうのうと生きていたな。ブエノスアイレスや北京は発展途上だから自分たちには関係ないってか……あぁ、ドラッグレースやアルティマロッタなんかもそうだな…＜自分は死なない＞っていう安全バーがあるからあんなに他人の死に興奮できる』

中央のメインステージに立つ面長の白人男性は、無言で自分を見つめる何万の人間を蔑むように見回していた

『だがな、お前らのその娯楽は＜代替死＞が前提だ。つまり直接死と向き合う人間が必ずいる。……俺の家族はアスリートの家庭だった。父親はサッカー選手、母はバレエダンサー。だがある日偶然政府の不正を発見してしまったばっかりに……政治犯として殺された』

男の目から涙がこぼれることはなかった。昔ヤマトが見たリーの泣き顔とは正反対の、力強い冷たさを持った無機質な顔がそこにはあった

その時、男が立つステージに駆け寄ってきた一人の中年男性が叫んだ

「お…おまえ…じ、自分が何やっているのかわかっているのか！早くあのか、怪物みたいなものを引っ込めろ！」

そう叫びながらその小太りの男はステージによじ登り男に詰め寄ろうとした。が次の瞬間、男は何か透明な壁のようなものにぶつかったかと思うと激しく痙攣し、黒焦げになりその肉塊から煙を上らせた

人々はそれを見て息を呑みさえはしたが、悲鳴はあげなかった。いや、あげられなかったというのが正しい。もし何か目立つことをしたら次は自分、そういった悪寒が働いていたのだろう。会場は異常な緊張感に包まれていた

『丸腰でこんな目立つ所に出てくるわけないだろうが…馬鹿が。そういう危機管理能力も生存本能もお前らは弱い…生物学的に見て弱者のはずだ……なのにお前らは！うちの両親が殺されたニュースを見て「今日も世界は平和だ」とかぬかしやがった！！人が不可解な死をとげてるのにもかかわらずだ！』

男の声は徐々に大きくなっていく。それに比例して会場の空気も張りつめたものへとなっていき、まさに一触即発の様相を呈していた

『お前らは間違っている！＜平和＞とは命を重んじることではない！＜平和＞は命を軽視させる腐敗思想だ！！』

全員の視線、警備の人間までもがその男の言動に息を呑んでいた中、さきほどのヤマトを刺した怪物ともう一体はその間を抜けるようにある箇所へと移動していた

彼らの動きは水の流れの如く流麗であり、誰にも悟られずその場所にたどり着くことは容易であったに違いない

静かに、しかし確実に二体の怪物はその任務を終えようとしていた

『……だから…正しく強い者が死に、弱者が飄々と生きる…そんな腐った世の中を正しに来た』

男は一転冷めた口調でそう言うと、大きなホログラフボードを取りだした。電源を入れると空中に１５ｍはあろうかという巨大な怪物のグラフィックが浮かび上がった。それはまさに今会場を混乱に陥れている元凶であった

『今、会場にいる８体のコレ、これは政府が極秘裏に動かしていた研究所の生体実験の失敗作さ…人を殺せるサイボーグって所だな。いくつもあったんだろうが、頭の回るこいつらはそこを抜けだしてきたってわけだ。そして今こうやって政府に復讐している。分かるか？お前らが崇めていた世界政府とやらは裏でこんな殺人兵器を使って邪魔者を排除していたんだ』

人々の顔は依然ステージを向いたまま。しかし心の中ではステージ上の男に対する激しい憎悪が湧きあがってきていた

「デタラメをッ……」「狂言よッ…！」

＜あなたの無抵抗に信じてきたものは嘘でした。あなたの知識や正義は実は全部間違ってますよ＞

そんな言葉をそう易々と人々が受け入れられるわけがなかった

それを受け入れることはアイデンティティの否定であるし、これから独りで生きることを意味する

この状況下でそれを選択できる者は誰一人としていなかった

「凶悪犯罪者……この…テロリストが！！」

群衆の中から涌き出たその言葉をきっかけに、静寂を保っていた会場が一斉に怒鳴り始めた

「死ね…ッ！」「嘘つきッ！」「お前が間違ってるんだ！」

集団心理。同調現象

自我を持たない。否、時流に流される自分こそが自我

この流れはきっと誰にも止められない。世界が変わっても。ヤマトはそう、思った

『ふっ…まあいい…もう時間だ』

男はその罵声群を受け流すように、スイッチのようなものを取り出した

それと時を同じくして、二体の怪物はLevel３へ続くエレベータの前へと到着した。彼らは８桁のコードを知らない。が、それは問題ではなかった。ここにたどり着くことこそが、彼らの目的だった

彼らはそれぞれ徐に右手からレイピアのような鋭利に尖った細い針を取り出した。それをエレベータのドアの隙間へと差し込む。その無駄のない動きはまるで操られたロボットのようであった

ここまで警備の人間にも気付かれず任務を遂行できたのは、男が注意を引き付けていたのもあったが、この人間味を感じさせない迷いのない動きが大きな要因であったと言える

そして

『また会おう…生きていればな』

ピッ

その瞬間、罵声群を一瞬にしてかき消す轟音が鳴り響き、激しい揺れとともに爆風が会場を襲った

爆風に舞った砂塵一瞬視界を腕で覆ったヤマトが次に瞬間に見たものは、激しく損壊したエレベータと、そこに向かって乗り込んでいく怪物たちであった

「クソッ…！あいつら…！」

歯ぎしりを漏らしたヤマトは先ほどのステージに視線を戻したが、もうそこはもぬけの殻であった

急いで止めなければ…！上にはイアンたちがいる…俺がいない状態で出会ってしまったら確実に殺される…。ヤマトはその一心でエレベータへと駆け寄る

ヤマトが群衆をかき分けようやくたどり着いた時、もうすでにそこには残り１体しかいなかった

「待て！」

エレベータワイヤーをつたって上へと上がる怪物。そのうち最後に登ろうとしていた手足の長い怪物がその足を止め振り返った。

「あぁ…おめーはさっきの…」

怪物は、先ほど暗殺を阻止された人間がこの青年であったことを思い出すと、ロープを握る手を離しゆっくりと振り返った

「はぁ…はぁ…上には…行かせない…」

ヤマトは必死に気丈を装った。重傷で心は疲弊していたが、それを相手に見せるわけにはいかなかった

「あのな？俺ら大統領殺さなきゃなんないのよ。上のフロアまで100ｍくらいあるっしょ？だから早く行かないとみんなに置いてかれちゃうわけ」

怪物はその長い手足を振りながら軽い口調で答えた。だが彼の心の中は警戒心で満ちていた

（早く上に行きてーが…このガキに背中を見せるのは危険だ……）

さきほどの一撃で、怪物の心に警戒心が生まれていた

この怪物は他の怪物と比べ知能が高い。さらに言えば感情も他の怪物より発達していた

が故に、いらぬ警戒と死に対する若干の抵抗感が生まれていた。打算的。これがこの手足の長い怪物の特徴であり長所であり短所であった

「行かせるかよ……」

ヤマトの凄みをきかせた声に、怪物はこの青年を始末することを決意した。逃げてもいずれ障害となる。そう判断した。お互いの利害が、ここで初めて一致した

「人間ごときが俺様を怒らせて…自殺志願者か？それともただの馬鹿か？……まあいいぜ、すぐに殺してやるよ。お前強そうだからな、手加減はしねえぜ」

怪物がその長い手足を大きく振りまわしたその時

ガタンッ！

ブレーカーが落ちるような音と共にヤマトの目の前が闇に覆われた

人々も急な停電に怯え、一瞬の無音を置いてさらに悲鳴を大きくさせた

怪物は突然の出来事に辺りを見回していた。窓からの光芒で若干ではあるが互いに視界は確保できていた。その中ヤマトだけがすべての事態を把握し、焦りを見せていた

セドルがメインコンピュータにウイルスを撒いたのだ。つまり計画がスタートしてしまった。これでヤマトがイアンたちに合流するには、５分以内にこの怪物を倒しワイヤーをつたいLevel３に行くしかなくなった

「な…なんだ！？」

怪物も突然の暗転にまだ驚き戸惑っていた。反面ヤマトはこの状況下での最善策を理解できていた。それは『怪物への奇襲』。だがヤマトはそれをしなかった

「……おい」

「…？」

辺りを見回していた怪物はふと顔をヤマトに向ける

「…もう十分目慣れたろ？……すぐ片をつけなきゃなんねーんだ。闘ろうぜ」

「…生意気なガキだな。……あぁいいぜ、３分で片づけてやるよ」

十数秒が経ち、もうヤマトの目ははっきりと怪物の姿を確認できるようになっていた

ヤマトはちぎった布で腹部をきつく縛ると、息を細く強く吐き、ゆっくりと指を一つ立てた

「１分だ」