曙光の暖炉

 

「もう、ほんと信じらんない。さようなら」
 

 
そう吐き捨てると女は部屋を出て行った

バタン、と乱暴に閉まるドアの音が室内に響き、その後部屋は静かになった



「……やっちまった」

男のギャンブル癖は酷いもので、先ほど出て行った『元』彼女からの説教も虚しく、貯金は一向に貯まっていなかった

そこにきてこの男は浮気をした

一夜だけの火遊びのつもりだったが、相手の方が本気になってしまい、このような事態を招いてしまった






 

 

 
―――出逢いは二年前

男と女は、当時飲食店でアルバイトをしていた

それぞれ厨房とホールであったためほとんど顔を合わせることはなかったが、バイト仲間での飲み会の席で意気投合した

 

 

  
二人が恋に落ちるのにそう時間はかからなかった
 

 



二人はよく喧嘩をした

持っているCD、好きな作家、映画、スポーツ

二人の価値観は驚くほど食い違った

元々お互い理想のタイプでもない



でもなぜか一緒にいると落ち着いた

喧嘩をしてもいずれは笑いあった

最初は異なっていた趣味嗜好も、いつしかお互いの色に染まっていった




二人は愛し合っていた―――






「―――今度こそ終わりか…」



男は二人掛けのソファーの右側に深く腰を落とし、天井を見上げた

いつもならば隣にいるはずのあいつはもういない。明日も。明後日も。これからもずっと

お互いに浮気だけは絶対にしなかった。男もしないと決めていた

自分のした愚かさに手で顔を覆い、深いため息をついた





「あ」




男はあることを思い出した
 

 
「合鍵」
 

 
女は男の部屋の合鍵を持ったまま出て行ってしまったのだ

このままじゃ鍵を替えないといけなくなってしまう

男は一つ大きなため息をつくと、ジャケットを羽織り家を飛び出した

冬の寒空は高く、走る自分の頬をピリピリと冷たい空気が通り抜ける

女の家まではここからまっすぐ駅まで行って、上り電車に乗って二つ目の駅で降り、商店街を抜けた先にある

男は走った

何百回と往復したこの道、ケータイをいじりながらでも辿り着ける女の家までの道を、一人で





なんて言おうか……

合鍵返して?

あ、貸してたゲームも返してもらわないと……

最後だしなんか言っとくか?

今までありがとう?…いや、ダメだ。女々しく思われるな

……あー…そーいやあいつのストロー噛むクセ

最後だしきちんと言っといた方がいいか?…いや、何考えてんだ俺は?





「―――うわ!!」



頭の中で色んな事を考えていながら走っていたとき、曲がり角を曲がった所で前を歩く女にぶつかった

尻もちをついた尻が痛い。冬のアスファルトは冷たく固い

腰をさすりながら起き上がると、目の前には先ほど捨て台詞を吐き出ていった『元』彼女が立っていた



「あ…」

「あ…」



二人の間に流れる沈黙

木枯らしが笛のような音を立て、二人の間を通り過ぎる

赤いマフラーに顔をうずめる女の表情はどこか先ほどまで泣いていたようにも見えたが、今男に向けられているその目にはかつての優しさは微塵も感じられなかった




言わなきゃ、合鍵のこと……あ、あとなんか言うことあったっけ……あ、ゲームだゲーム。でも今持ってないだろうな…後でって言うのか?それはまた会おうってとられやしないか?……あ、ストロー噛むクセどうしよう……


頭が正常に働かない


次から次へと言いたいことや文句が出てきて口が動かない

そのせいか、少し頭は熱く、足元も少しふらついた


「…なによ今さら……」


女の突き放すような言葉に男は我に返る

自然と頭がすっきりしてきた

元々これを言うために出てきたんじゃないか

男は一つ大きな白い息を吐くと、天にこだまするように叫んだ



「あ、あい――――」







 

 

 

 
――――深紅の柔らかな絨毯

部屋を優しく橙に照らす暖炉





「――ねぇ、それでそれで?なんて言ったの?」

20歳前後の肩まで伸びた茶髪が似合う女性が、ウッドチェアーに深く腰掛け膝に毛布をかけたおじいさんに寄り添います


「それはね……」


おじいさんが次の言葉を言いかけた時、リビングのドアからおばあさんが紅茶とカステラを持って入ってきました



 

 

 
「『愛してる、結婚してくれ』でしょ?」
 

 



おばあさんはそう言うと、呆れたように笑いながら紅茶とカステラをテーブルに置きました

おばあさんの言葉に孫である若い女性は目を輝かせると

「へぇ〜素敵!……でも、その二人はうまくいったの?」

その結末を知りたがる孫の言葉に、二人は照れながら顔を見合わせると




 

 

「不満とか怒りとか、全部吹っ飛んじゃったわよ」
 
「あれからタバコもギャンブルも止めたんだっけな……はっはっは」
 
 
 
 
 
 
 

 
夜明け前、三人を包むように優しく燃える暖炉は、ちょうど50年前の今日の出来事を懐かしそうに話すおじいさんの頬を、赤く火照らせていたのでした
 

 
  
〜fin〜
 

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おじいさんの照れを隠してあげる暖炉の優しさに惚れた(´∀`)

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