不幸を呼ぶ女

 

私は不幸を呼ぶ女。

私に嫌な事があると、周りの人間にまで不幸が感染る。

私が学校でイジメられた翌日は、お兄ちゃんがバイトで怪我をしていたり

先生に怒られた翌日は母親がパジャマを引っ掛けて破いていたり

理由なんて頭が割れそうになるまで考えた。だけど、明確な答えなんて分かるわけがないし、その理由を考える事自体、私にとっては嫌悪以外の何ものでもなかった。

けどそんな事にはお構いなしに、私に嫌な事があった日やその翌日、確実に身内に不幸が及ぶ。確実に―――






お兄ちゃんが死んだ。

私が酷いイジメを受け、さらに先生にタバコを吸っているという有りもしない疑いをかけられ、精神的にも身体的にもズタズタになって帰って来た翌朝



居間で腹を刺され、どす黒い血溜まりの上でうつ伏せになっていた。



悲しかったが、涙は出なかった。

私は不幸を呼ぶ女

両親も三年前、私が雑貨屋で万引きと間違えられ警察と一悶着した次の日行方不明になり、1ヶ月後に山奥の冷たい土の中から半腐乱状態の遺体で見つかった。

いつかお兄ちゃんも両親のように死んでしまうかも

そう思いながらも、不幸が感染り、日に日に傷だらけになっていくお兄ちゃんに頼る以外生きる術がなかった私は、いつも下を向いて「ごめんね」としか言わなかった。言えなかった。

そんな時、お兄ちゃんはいつも笑って「気にするな」って言ってくれた。

いつかは誰しにも訪れる絶対的な死

それが近いうちに起きるかもという半ば確信に近い予感と共に生活してきた私の精神は、もう涙の流し方など疾うに忘れていたのだと思う。





――葬儀の後、片付けを終えた私は喪服のまま、一人お兄ちゃんの部屋に立っていた。

大学生らしいシンプルな色調の家具が置かれた部屋に、壁に飾られたサッカー選手や歌手のポスターのシルエットが、薄いレースのカーテンを通した満月の明かりに照らされ、ぼんやりと薄黒く浮かび上がっていた。

私はしばらくその部屋の中央に立ち、時々外から聞こえる盛りのついた猫の鳴き声と共に、部屋の絨毯に私のほっそりとした黒い影を落としていた。



お兄ちゃんは、三日前までここで生きていた。

ふと目を瞑れば、机に座り勉強をするお兄ちゃんのあの背中が浮かんで来るようであった。

「お兄ちゃん…」

両親を亡くした時にもう枯れ果てたと思っていた涙が、頬を伝い絨毯に丸い染みを落とした。

私のこの眼から流れ出る涙は、とても温かかく、ゆっくりとその頬を伝ったのを覚えている。




――その時私は、涙を拭った私の視界の先、綺麗に片づけられたお兄ちゃんの机の上に、暗闇に浮かび上がる一本のビデオテープを見つけた。

これが、すべての始まりだった。

「何…これ?…ビデオテープ?」

暗がりの中、その黒い物体を手に取るに、何の変哲もないただのビデオテープのようであった。

ただ一つ、ラベルがどこにも貼っていない事を除いては――




下に降り、居間のビデオデッキに入れ再生をしてみた。

そのテープは、デッキの中でしばらくガチャガチャと機械音を鳴らした後、ゆっくりと回り始めた。

目線をテレビに移すと、目の前の画面には、あの元気だったお兄ちゃんが映っていた。

しばらくカメラを調節する音と、居間のソファーだけが映っていたが、少しするとフローリングを歩く足音と共に戻ってきた。

お兄ちゃんはソファーにゆっくり腰掛けると、一つ咳をし、話し始めた。

 

『佳代子…元気か?』

 

つい三日前まで見ていた顔、聞いていた声であるはずなのに、テレビに映り喋るお兄ちゃんは、とても懐かしく、遠くにあるように感じた。

 

『……お前がこれを見ているということは、俺はもうこの世にいないと思う。…母さんと父さんが死んでから自暴自棄になっていたお前を支えきれてやれなかった事、深く後悔している。すまない…』

神妙な面持ちで頭を下げるお兄ちゃんと対照的に、私は驚きを隠せないでいた。

「え…なんで…?お兄ちゃん…なんで自分が殺される事を知ってるの…?」

当たり前だ。朝起きて下に降りた時、お兄ちゃんはすでに何者かに刺されて死んでいた。

事件ではあるが、部屋も荒らされていたし、突発的な物取りや空き巣による犯行だと思っていた。警察もその方向で捜査しているはずだ。

それが今、目の前の画面の中でお兄ちゃんが発している真実は、私を狼狽させるのに十分すぎるほどであった。

 

 

『…それから一つ、佳代子にお願いがあるんだ』

 

 
冷や汗を拭う私を余所に、ゆっくりと顔を上げたお兄ちゃんは、真剣な表情で私に語りかけ始めた。

『お前はいつも「私は不幸を呼ぶ女」なんて言って塞ぎ込んでいたよな。特にうちの親が死んでからは周りとの接触を避けるようになった。……でもな、それは違うんだ』

思いがけない一言に、私の顔は狐に摘まれたような表情になった。その表情を知ってか知らずか、お兄ちゃんは相変わらずゆっくりと話を続けた。

『お前に嫌な事があった日や翌朝は、必ず誰かしら怪我をしたり物が壊れたりしてるだろ?お前自身にも傷がついていたり。今まで、全部壁に引っ掛けて破れたとかバイトで怪我したとか言ってきたが、違う』

カメラを見つめるお兄ちゃんの目は、驚くほど落ち着いていて、私の心に少しの恐怖と大きな不安を植え付けた。

そして次のお兄ちゃんの台詞に、私は驚愕したのを鮮明に覚えている。
 
 

 

 
 
 
 

 
『あれをやったのは、全部お前だ―――』


 

 
 

 

 
言葉を脳が受け入れられないと言うのはああいうことなのだろう。私はその時本当にお兄ちゃんの言っている言語を理解することが全く出来なかったのだ。

『お前は、精神に多大なストレスを受けると人格が変わる。破壊衝動が強い[富子]という人格に。その日に受けたストレスが大きければ大きいほど、その富子の破壊衝動も強くなる。それを止めるために、俺や母さん父さんは毎回傷だらけになっていたんだ。しかもその人格はほとんどが夜中、寝ている時に出てくるが、お前はその富子である時の記憶を全く覚えていない』


その時、少しずつ、ほんの少しずつ、今まで不可思議に思っていた点と点が線で繋がり始めていた。

それに比例するかのように、私の心臓の鼓動は早まり、血流は熱く脈を打った。

『…父さんと母さんが死んだ前日、お前万引きと間違えられたよな。あの日の夜、お前は父さんと母さんを殺した。父さんは死に際にこう言ったよ。「絶対に佳代子を守れ」って。だから俺は父さんと母さんを山奥に埋めた。その時覚悟したんだ。生きてる限り、絶対にお前を守るって』


涙が止まらなかった。十数分前に二階で流した温かい涙とは正反対の、冷たく恐怖にうち震えた涙が。

心臓の鼓動が鼓膜を揺らし、頭が押し潰されそうな圧力に悲鳴をあげ、視界の端がぼやけてきた頃、お兄ちゃんがふとソファーから立ち上がり、カメラによってきた。


『…だが、俺が死んでしまったら、お前を守る人が誰もいなくなる。いつかは警察の捜査も及ぶかもしれない。だから佳代子、お前に頼みがある』


一生懸命涙を拭った私に、お兄ちゃんは真っ直ぐ何かを決意したように、カメラを見つめてその言葉をかたどった。











 

 

 
『佳代子、死ね』






 

 
――ビデオが終わり画面が砂嵐へと変わる直前、そして佳代子としての記憶の最後

カメラの目の前で話すお兄ちゃんの後ろ、居間から廊下へと続く木目調のドアの隙間から
 

 

 



私が、富子が覗いていた。



〔終〕

 

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つまりこのストーリーテラー(私)はもう・・・

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